イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

遊び手の先に作り手がある

LLM、AIの技術によって「作り手」になるためのスキル面でのハードルは確かに下がったように思う。簡単なホームページを作るにしても、ちょっと前までは大まじめにHTMLとかCSSを書かなきゃいけなかったけれど、今ではChatGPTだの何だのにお願いしたらすぐにできる。 ただ、まぁこれはあくまでもスキル面でしかなくて。何かを作る際のとっても局所的な部分でしかない。あくまでツールだ。家具や小物をインターネットで簡単に取りそろえられるからといって、誰もがオシャレな部屋づくりができるわけではないように。いくらAIが何かを形作れたとしても、それだけで作り手にはなれない。 「作り手」の、きっとその手前の段階に「遊び手」があると思う。文筆家は言葉や文章で遊んできただろうし、イラストレイヤーは絵で遊んできたはず。声優さんも、声で遊んできたのだと思う。まずソレで遊んでいること。その先に、作り手に成れるのであって、遊んでもおらずに作り手を目指していても、結局はただの作業屋さんになるしかない。それは作り手のようで作り手じゃないよな。 僕はたまに「あぁ、この人作り手に向いている」って思うことがあるのだけれど、そういう人は決まって、遊んで(Playして)いる。目の前の何かに対して「こうしたらいいんじゃないかなあ」とか「こうやったほうがうまくいくんじゃないかなあ」みたいなことを遊んでいる。実際に手を動かしている人なんて作り手の卵だし、頭の中でイメージしてウンウンとうなっている人だって、立派に遊んでいる。そういう人は、作り手に成れるし、昨今のAIの進化は、そういう人たちのためにあるよな。 その点、多忙さにかまけたり、あるいは地位に腰掛けたりして遊ばなくなっている人ってのは、やっぱりあんまり作り手にはなれないよなあ。遊び手の気持ちがわからなくて、良いものなんて作れっこしないもの。
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