イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

消費して、味わって、遊んで

冷静に考えると、男女で声の高さが全然違うのっておもしろい。もちろんそこには生理的な理由があるのだけれど、それにしたっておもしろい。 仕組みとしては知っていても、あらためてしっかと見ると面白いことっていっぱいある。鳥だって、あんな小さい体で空を飛んでいるのはおもしろいし、電車や飛行機も、なんであんな鉄の塊が爆発的な速度で動いているのか。おもしろい。 どれもこれも調べれば原理はある程度出てくるし、想像もつく。でも「知」を気取るにはそれだけでは不十分で、だからこそ「遊ぶ」という行為が出てくる。知的欲求は、遊びと直結しているよなあ。そしてその先に鳥人間コンテストとか学生ロボットコンテストとか、デアゴスティーニのような「制作」が待っている。 やっぱり、作り手になる手前には遊び手があるよ。そして遊び手になる前には、見て味わう段階があり、その手前に消費する段階がある。まぁきっと単純なリニアではないにしろ、そういうつながりはある。 だからこそ良い作り手は良い遊び手であり、良い味わい手であり、良い消費者だ。世の中ですごいなあ、と思う作り手は、誰よりも消費して、味わって、遊んでいるものな。 読書とかもきっとそうで、案外と読書量が多くてもただ消費で終わっている、って人も多いんだろうな。そこから味わって、遊んでみる。それは案外、下手な読書よりも、趣味で小説を読んでいる人のほうができている気もするね。100冊読んでいても遊んでいなければ、1冊のお気に入りの本で遊んでいるほうが、骨身に染みるわいね。
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