子どもの主役感
僕の住む伊那市は山間(やまあい)にある町だけれど、そこそこに移住者に人気があるので、子どもが少なくない。もちろん都会よりは少ないのだろうけれど、小学校や幼稚園の近くを通ると、にぎやかな声が聞こえてくる。
思えば、僕は子どもが苦手だけれど、子どもと接するのが昔ほどは苦手じゃなくなったように思う。昔は子どもを「子ども」として接しようとしていたけれど、それがどうにもできなくて苦労した。でも、子どもに対しても他の人間と同じように接しても存外いいのだと気付いてからは、苦労はしなくなった。剣呑な人がいるのは大人も子どもも変わらないし。
子どもってのはとにかく「主人公感」が強いくて、それに当てられていたのもあると思う。どんな場でも、そこに子どもがいたら「子どもが主役の場」になるでしょう。主役とはなるだけ遠くにいたいものだ。
だから、子どもを主役として立てるような触れ合い方は今もできない。それを人でなしとなじられることもあったけれど、一方でそれで子どもに懐かれることもあったから、まぁそれでいいんだろうな。
とかく、子どもはエネルギーの固まりだから、今でも散歩道に小学校や幼稚園の近くを選んで、そのエネルギーをおすそ分けしてもらうこともある。そのくらいの距離感がちょうどいい。僕に子どもは育てられないなあ。