イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

不識庵

僕は毎日何かを書いているのだけれど、その時々によって書きたいテーマというのはいっぱいあって、そのテーマに応じて僕の文体というのも不思議と変わっていってしまう。この「手紙」も、その振り幅は僕にとっては自然なんだけれど、まぁ読む人にとってはちょっと困るよねぇ。 僕自身、そのスタイル、イズムの行ったり来たりを楽しんでいるわけだけれど、カンタンな文章を読む想定だったのに小難しいことを書かれていると「おやっ」ってなるよね。そこには少し気掛かりを感じてはいる。 理想的には名前ごと変えたいのだけれどね。僕は「イオリン」という名前で書いているけれど、もう少しいろいろあったり、あるいはもっと正体不明な名前であったりしたほうがいいのになあ、と思う。僕はもっと正体不明であり、行ったり来たりであり、流れているものだから。そこに「イオリン」ってのはちょっと合致しないなあと思っている。 そういう意味合いで法名、号、あるいは字(あざな)のようなものに興味を持ったこともある。あれの正体不明っぷりは良いよね。個人的には上杉謙信の不識庵ってすごい好きだ。「識らずの者」ってある意味では僕の在りたい像にそっくり。不識庵て名乗ってやろうかしら。 そのまんまでなくとも、○○庵ってのはいいね。「いおり(庵)」が入っているしね。
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