イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

博覧強記に憧れて

僕は、たまに仕事で「ジェネラリスト」と呼ばれることがあったけれど、個人的にはあまり好きじゃなかった。ジェネラリストという言葉にはどうにも器用貧乏といったような意味合いが含まれているように感じたからだ。幅広く活躍できるにしても、その道その道の専門職にはかなわない、といったような、そんな風にも聞こえた。 僕は僕なりの専門分野はある。工学とデザインは専門分野だし、文筆についても積み上げてきた自負がある。他にもいろんなことを学び、試し、積んできた。それは「ジェネラリスト」ではないよな、と思ってきた。強みが幅広い分野で活用できる、あるいは幅広い分野で基盤になる強みを持っている。デザインなんてほとんどの工学分野において使えるもんね。 そんな折、松岡正剛さんが「博覧強記」と呼ばれていたのを読んだ。博覧強記とは、さまざまな分野の知を集約して多角的、網羅的に物事にあたれるような人のことで。こういう「多方面に強い」ということにおいて、実際に「強」という漢字が使われていて、良い言葉だなあ、と感じた。ジェネラリストにはなんだか「弱」が入っているように思うんだよ。 まぁ僕は博覧強記にはほど遠いけど、目指す場所としてはジェネラリストなんてのよりはよっぽど良いな、と思った。多才なのではなく網羅的であるということ。それは「何でも屋」とも違って。うん、博覧強記ってのは憧れるに値する。 そういえばちょっと前に「インターネットで調べればいいんだから記憶なんて無駄」みたいな言論が流行ったけれど、僕はそうは思っていない。脳は記憶したモノを編集、リミックスしてアウトプットするのだから、博覧強記であればこそ、そのリミックスは多様になるはずだ。
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