イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

考えすぎだということ

昔からよく「考えすぎだよ」と言われてきた。自分では自分のことをそう捉えることはなく、その代わりに「どうやら僕ほどはみんな考えないようだぞ、ということを肌感覚として感じてきた。 でもそんなみんなの中にも脳があり意識がありクオリアがあるわけで、僕とは違う部分において思考をしているのではないかな、と思う。 たとえば僕は「今日の晩ごはん」についてはあまり考えない。そりゃあ少しは考えるけれども、ほとんど定型とその派生だけだ。だから同僚とかとご飯に行くときに「最近、気になってるご飯屋さんがあってさ」という風に言われると、そんなにご飯のことを考えているのか、と少しおどろく。 ただ、まぁ僕にとって「僕よりも考えている人がいる」というのは嬉しいことだ。それはだって僕の知らないことを教えてくれるし、どんなことだって、それをおもしろがっている人、楽しんでいる人がやったほうがいい。そこに乗れるなら喜んで助手席で楽しませてもらおう。僕だけだったら「パッタイ」なんて人生で出合わなかっただろうと思う。 さても「考えすぎだよ」ってのは、残酷な言葉だよな。たとえばそうやって「あそこに気になっているタイ料理屋があるんだよ」って言葉に「考えすぎだよ」って返したら、失礼しちゃうよな。昔からこの言葉は「断絶」の言葉だなあ、と思っていた。
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