イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

目的と義務を混同するから

僕は昔、私事に連絡の返信がとにかく早い人間だった。せっかちだったか暇だったか、まぁその両方なのだけれど、まぁ加えてインターネットによる連絡が好きだったのだろうと思う。もともと10代の思春期にCGIチャットに入り浸っていたような人間だ。インターネット的リアルタイム性に慣れていたのだろう。 ただ、今においては、仕事はともかくとして私事の連絡の返信は随分と遅くなってしまった。少なくとも大学生の頃よりは暇でなくなったのは事実だ。ただ、まぁリアルタイム性に疲れたのもあるだろう。そもそも手紙とは一方向的なモノで、返信を前提としているのも居心地が悪い。目的と義務を混同するとストレスが溜まる。 それはまぁ仕事でも同じだ。少なくともチャットツールってやつはどいつもこいつも急かして意識を散らしてきていけない。僕はずっと前から「多機能チャットツールを廃止して、メールと掲示板に戻るべきだ」と言っているのだけれど、それは、SlackとかChatworkとかでは、リアルタイム性は上がるものの、仕事は進まないし、ストレスがたまるからだ。 高校の頃、国語の先生が「電話をかける、という行為は憚られるべきものだ」と言っていたのを今でも覚えている。「相手の時間をその分頂戴するのだから、迷惑をかけるものだ」と。その気持ちは僕も同じだったから、それを言い切ってくれた事を深く覚えている。憚られるべきものがそうでないように扱われること。それを国語の先生は「思いやりがなく、失礼だ」と言っていた。 今やチャットツールのほとんどもそういう性質を帯びている。その上、電話ほどリアルタイム性が高くはないから、「返信は早くしろ。そこに俺は反応しないけど」という不公平さがあり、それは失礼の極みだなと僕は思う。重ね重ね、目的と義務を混同している。 まぁ私事のやりとりではこんなことを考えているわけではないけれど、「連絡は返さなきゃ」ってなるだけ思わせたくはないなあ、と思う。一方で連絡を返していない君たちには、ごめんなさい。あぁ、手紙を一つ、郵便ポストに入れなきゃなあ。
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