イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

機運の波、編み目、交叉

おおよそ齢30を越えたあたりからうっすら感づき始めたのだけれど、どうやら「機運」みたいなモノはある。それは川の流れの中に、たまに波打つ部分があるように。なんかわからないけれど、何かが集約したのか、何かが疎になったのか、まぁそういうのが重なって「今だ」という時がある。 とはいえ、そういった機運は油断するとすぐに去ってしまうし、大体は0 or 1ではないので「高まっていたけれど、違ったのかも」みたいなことだってある。そうやってやらかして後悔することもなくはない。それでもどうやら、そういう波や波間みたいなことはあるようだ。 たとえば本を読んだり趣味に高じたりなんかでも「機運」はとても大事で、「読まなきゃ」と思って読む本よりも、「読みたい」と思って読む本のほうが入ってくるし、なんか前まで全然読みたいと思えなかった本が急に「読みたい!」となることもある。僕自身、昔は本を全く読まなかったのに、大人になってある日読み始めたものだ。そういうことはある。何事にも「はじめて」はあるし。 僕は人生哲学が「流れ」だからソレを波とたとえるけれど、「編み目」に近いようにも思う。これは実際にマンガ「桶狭間戦機」の中で編み目で描かれていて、それが未だに脳裏にあるのだろうけど。 「桶狭間戦記」では負の機運として描かれていた。つまり、勝ち確定状況だったはずの今川義元、あるいは蘇我入鹿や平清盛らが、「負け」に至る運命の交叉を見る、という。きっとマリー・アントワネットにもあったろう。休憩所に突然雨が降り、本陣に織田信長らがたどり着き、そこで奇襲が成功してしまう。それは、非科学的だし説明がつきづらいとしても、「在る」んだな。きっと。
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