アイデンティティターンオーバー
僕は自分のアイデンティティにあまり意識が向かない。名前を授かって、戸籍やマイナンバーもあり、この肉体は瓦解せずに今日も起きて、こうやってルーティンをこなしながら文章を書いているものの、それが同一個体であるという意識があまりない。自身の体はアバターであり、意識は観測結果のような気分だ。
意識ってのはまぁ、実にあやふやなものだよな。たとえば僕は、心臓を意識的に動かしていない。内蔵のおおよそは意識とは別のところで勝手に動いている。その拍動は機械的なモノかもしれないけれど、生きようとしている意思に近い何かを感じる。その意思は、「僕」の意思ではない。
では言語、言葉はどうだ?なるほどこれは僕の意識と直結してるように思う。僕が今感じたこと、思ったこと、考えたことがこうやって指を通して文字になり言葉になっている。それは僕の意識にとても近いところにある。
ちなみに僕は昔からキーボードを触ってきたので、タイプライティングにおいては、しゃべるのと同じ感覚で文章を書くことができる。頭の中でしゃべりながら、こうやって文字を書いている。
ただ、この言葉も実のところ、「寝不足」とか「空腹」とかできっと左右されている。意識と身体はどこかで直結している。だからこそ健康は大事だ。でも、その「健康」の大半は僕の意識とは繋がらないところで保たれている。
では、知とは、意識とは、アイデンティティとは、なんだろう。ターンオーバーされていく細胞と同様に、僕のアイデンティティもターンオーバーしているのか。きっとそうだろう。でも、だとすれば、なぜ人はなかなか変われないのか。
僕はこういうことを考え、文字にするのはとても好きだ。これは昨日書いた文章と似通っているようで全然違うし、普段、友人らと話すこととも違う。どっちが本当の自分とかでもない。このように統一されたアイデンティティなんて、本当はないんだよな。きっと。