イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

AIであり人である

生成AIは今日も進歩している。僕はおおよそ、僕らのほとんどの仕事を再構築しかねない渦を感じている。少なくとも今、僕はプランニングや情報管理に関しては、人間とやりとりするよりも、AIとやりとりしたほうがずっと良い状態になっている。人に試行錯誤するのは大変だけれど、AIに対してはラクにできる。 ただ、コレを以てシンギュラリティと呼ぶかは怪しい。僕がAIに情報管理をお願いできるのは、僕が情報管理に対して強い問題意識があるからだ。これはプログラミングの世界でもそうで、おおよそAIを有効に使えているプログラマは、そもそもが優秀なプログラマだ。昨今のLLMと呼ばれるモノは所詮、大量データから確率論的に出力しているに過ぎない。だから、突出した成果を出させるには、突出したインプット、フィードバックが欠かせない。 AIと仕事をするということは、「人は何を為すのか」を問うことであり、むしろ「人」が浮き彫りになる。人とはつまり、僕や君だ。そしてこのあたりは、そうだな。80年ほど前に、チューリングさんの「チューリング・テスト」やアシモフさんの「ロボット三原則」などで論じられていたことだろうと思う。あるいはシュレディンガーさんが量子力学の欠陥を論じたようなところにも近い。 思えばOpen AIのアルトマンさんは当初、その辺りを論じていたように思うのだけれど最近は聞かなくなった。僕が世間に疎いからかもしれないけれど。 まあ小難しいことを言ったけれど、AIは人を置き換えはしないよ。それはタイプライターとかスマホとかと同じで。抑、「AIか人か」という二項対立でさえない。「AIであり人である」はありえるよ。
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