イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

説明の前に、たのしいかどうか

少し前までは「なんだよそれ」って思うようなことが、最近はよく理解できる・・・ということが増えてきた。僕が老いたからか、熟したからか、まぁそれはわからないけれど。 たとえば「イイカンジ」みたいな言葉が、数年前までよりも随分とわかるようになってきた。数年前までは「なんだよイイカンジって。気まぐれかよ」みたいな感覚を持っていたけれど、今ではむしろ「イイカンジのほうがリアルで、説明不要なものだよな」と思うようになってきた。 ただ、濫用すると「なんだよ」って思う人がいるのも事実だし、実際「ただの気まぐれ」として「イイカンジ」を使う人もいるから、そこの解像度は高く持っておかなきゃいけない。 多分、大事なことは「説明できるかどうか」だと思う。「イイカンジ」はそれ自体がリアルであり説明不要だけど、説明しようと思えばできる。説明しようとするとそぎ落とされてしまう部分はあるだろうけれど、説明はできる。 それは多分「わびさび」とか「ジャズ」とか「ゴシック」とかと同じだと思う。それらは、説明しようとすることはできるが、それらが心身にしみ込んでいれば、説明しなくとも感じることができるはずだ。「わびさびだねえ」とか「それってジャズだね」でいいはず。 説明できることを過信してはいけないよね。漫画バガボンドの中でも「感じるべきは正しいかどうかじゃなく、楽しいかどうかだ」という言葉があったけれど。「イイカンジ」も「わびさび」も「ジャズ」も、根っこに「楽しい」があるのかもだね。
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