イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

挨拶したいだけで何もはじまらなくてもいい

僕は人付き合いは良くないのだけれど、それはそれとして、人に話しかけたくなるタイミングがある。それは他意なく「それ、いいカーディガンやね、どこで買うたん?」って聞きたくなる。その先に仲良くなりたいとか、呑みに行きたいとか全くなくって、「いいカーディガンやね」と言いたいだけの時がある。 今もこうやって文章を書きながら、スタバの中で桜にちなんだ期間限定フードをこれでもかと買って机の上にキレイに並べて食べているお兄さんがいる。「すごいね」って言いたい。「見事だね」って。「いい日になりそうだね」って。 これはインターネットにおいてもそうで、ただ感想を言いたい、って時はある。でもSNS、ことさらTwitterではもう、思惑と自意識があふれ出しすぎていて、「いいね」って言いづらい。「いいねボタン」を押すだけでさえ、「誰かに"いいね"を見られるかも」みたいなことを気にしてしまいそうになる。見られてもいいはずなのに。 そういう他意というか、ただの言葉に対して意味が渦巻きすぎるこの時代では、気軽に「こんにちは」さえ言えない。少し前に冷笑文化、と言われていたけれど、そうも簡単に言い切れないよな。0/1じゃない。グラデーションでこうなっている。「不審者が児童に"こんにちは"と声をかける事案が――」みたいなのはここ10年かで醸成されたものだよな。で、その10年ももっと前から醸成された何かで成り立っている。 実際、「こんにちは」から始まる事件も大量にあるわけだけれど、なんだか寂しいね。そもそも「こんにちは」だけで何も始まらないのが僕は一番いい。知り合いになりたいわけでもなくて、「いいカーディガンやね」って言いたいだけ。それは空飛ぶトンビに「おぉ、気持ちよさそうだねえ」って言うのと同じだから。
前へ
一覧
後へ