思い出ノック
たまに夜中に目が覚めてそのまま寝つけないことがある。そんな時はおおよそ、直前の夢のことを覚えている。普段ならばサッパリ忘れてしまうような夢の中でさえ、覚えている範囲ならば感情があることもわかる。現実では決して起きないような感情の起伏、爆発が起きていることもある。でも、普段は朝起きた時にキレイサッパリ忘れている。
先日、「大事なのは、いかに【人】以外の要素を生活に入れるかだよ」という主旨の文章を目にした。養老さんか誰かがある自死を選んだお子さんの遺書を読んで、「この子の遺書には、人間関係のことしか書いてないね」と思ったそうだ。アドラーさんも似たようなことを言っていたが、まあそういう息が詰まるようなことは【人】の中で起きるものだから、自然とかコーヒーとか料理とか、そういうものを入れましょう、と。
このハナシが今、僕の心に残っているのは、僕が記憶しているからだ。そして僕がこれを記憶しているのは、僕自身「そうだよね」と思っているからだろう。これがエコーチェンバーというものを引き起こしているのかもしれない。実のところ、日々いろんなものを目にして感じているのだけれど、そのうち僕らは覚えているものだけしか思い出にできず、実は感情というものもそぎ落とされているのだろう。それがバイアスとかなんだとか呼ばれるものだろう。
人は見たいものを見て、聞きたいものを聞くと言う。その根っこはきっと、覚えたいものを覚える、ということかもしれない。それは「この僕」ではなく、「脳というシステム」が
主体。だからイヤーなことも頭から離れなくて困るわいな。
ま、何が言いたいわけでもないのだけれど。覚えていない感情は、どこへ行くのか。それはそれできっと、どこかで起こされるのを待っているのかもしれないね。ふと、ノックしたら出てくるのかも。時に涙と一緒に。