もう、足りてる
「唯、足るを知る」という言葉がある。大元は老子が唱えた「知足者富」だが、富という言葉がお金と懇(ねんご)ろになった現代では、「知足」の部分だけを拾い上げるべきだろう。
この言葉をそのまま使うではないにしろ、僕の根っこにある概念の一つではあると思う。何をするにしろ、何を欲するにしろ、その根っこには「唯、足るを知る」がある。つまり、足らないモノを外に求めずに、内に求めるのだ。
僕は好奇心旺盛だが、それは外に何かを求めるのではなく、外からの刺激によって起きる内的変化を求めていて、それを楽しんでいる。だから、外的刺激が同様であっても、内的状況が違うのなら別物として楽しめてしまう。毎日似たような生活で楽しい理由の一つだ。
これは、僕が本質的に他者との関わりを求めていないことにも繋がっている。他者との繋がりは、僕の人生においては付加価値であり、前提ではないのだ。繋がりを避けるつもりもないのだけれど、繋がりで何かを埋めようとも思っていない。だってもう、足りている。これは「自己完結した人間にとって、恋愛のような他者完結する関係性は剣呑である」みたいなことに近い。剣呑とまでは言わないまでもね。
まあ一方、そんな内的刺激を楽しむ人間が、自己のアイデンティティに薄いというのも興味深いハナシだ。「内的」と書いたけどその実、内も外もない。体験と存在しかない。