お借りしているだけ
僕は何もなければ毎日、朝にスターバックスに行って、そこで過ごしている。パソコンを叩いたり本を読んだりしているのだけれど、僕なりの流儀がある。これは僕のモノでしかなく、誰に強要するつもりもないのだけれど、こういう心構えでいましょうよ、というフシで書き始める。
まず、場所を占領しすぎないということだ。あくまでカフェでは僕はお金を支払って場所をお借りしているだけなのだから、自分の家のように散らかしてはいけない。椅子や机の個数はもちろん、机の上にモノを置きすぎないようにしている。荷物置きのカゴも使わないし、使うとしても店員さんに会釈等をして慎ましやかにお借りするようにしている。
大昔からある話題だが、お客さんはお客さんであって神様ではないのだ。「お客様は神様です」が比喩であることなんて百も承知で、お金を払って得られるものは権利でも免許でもなく、サービスであり親切なのだ。だから、慎ましやかに、ありがたく頂戴するのだ。公共とはそういうことだ。
そして、空いているからといって一杯のコーヒーで長居しすぎない。ここのバランスは手前勝手なモノにしかならないけれど、おおよそ支払ったお金に見合う分くらいの滞在時間を意識する。これはまあ、「お借りしている」というところに回帰するハナシだ。
こうやって書くと、まあすべては「お借りしている」という意識でいる、ということでしかない。それはカフェに限らず、すべてでそうかもしれない。自然の中にいる時も、自然の中にお邪魔している、何かの縄張りをお借りしている、という感覚がある。
元来、僕らに権利などないのだ。放置すると奪われる人たちがいるから、権利と名付けた上で「それを守りましょう」と約束をしただけで。