イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

「したいけど、やらない」でもいい

子どもの頃はペットが欲しかった。僕の家は歯医者で自宅開業医だったから、衛生面の問題でペットが飼えなくてね。そりゃあ仕方ないわな、と思って諦めていた。そんな小学生の頃の僕は、ぬいぐるみとかお人形さんに代わりをしてもらっていた。なんかクマのぬいぐるみをバックパックから、首だけ出して出かけていた時期もあった。 まあ、存外そういうもので代用はできてしまうんだよな。命を代用というのも不躾なハナシだけどさ。僕が「ペット飼いたい」って言っていたあの時の感情は、あのクマのぬいぐるみが応えてくれた。もちろん、ペットを飼えていたらその子からもたくさんのものを頂いただろうけれどね。 一方で、こう、「ペット飼いたい!」という欲求が、ペットを飼うことで満たされないことだってある。飼ってみたら存外、世話が面倒だな、とかね。ひどいハナシだけれど、あるハナシで、要するに「ペット飼いたい」と思いたかった、言いたかったというだけで、ペットを実際飼いたかったわけじゃないというか。そこには違いあるんだよな。 「(これからも自然を壊した街づくりをつづけながら)失った昔を思って嘆くだろう。だがみんなそうしたいんだよ」 こんなセリフがあるドラマで語られていたけれど、一見矛盾していながら、実はデュアルで存在しうるんだよな。「Aしたいと云いながら、Bしてしまう」ってやつは。極端なハナシ、ダイエットしてると云いながら間食してしまうことだってそれだ。 そしてそれは決して、「本心ではダイエットしたくない」とうわけではない。ペットが欲しくないわけでも、失った昔を良いと思っていないわけでもない。本心とかないんだ。これは、「今度ぜひ誘ってください!」って云いながら誘われた時に断るのも同じ。断ったからといって「誘ってください」という気持ちがウソだったわけじゃない。 ま、なんか「本心」とか「本音」とかってやつは存在しないくせに市民権を得てて、それがこじらせてるよな。
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