イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

休むことが仕事

最近、朝に日課の文章を書くことを続けられている。東京に遠征に行くとかでない限りは、朝に趣味の文章を書いてから仕事を始めることができている。スタバでコーヒーを飲みながら、おおよそ9時くらいまでに文章をこの「手紙」と「雑記」に書いて、それから仕事を始めている。 それを続けているからか、最近特に実感していることがある。朝にこうやってゆっくりと過ごす時間があるほうが、朝一から仕事を始めるよりもずっと朝が長く、そして仕事が多くこなせるのだ。不思議なハナシだが、「朝一から4時間働く」よりも「朝1時間ゆっくり過ごしたあとに3時間働く」のほうが、仕事量が多い。 経験則が強いけれど、一方で「多忙感」や「ストレス」あたりがきっと、僕らの仕事の足を引っ張っていて、朝にゆっくりゆったりすることが、これらを緩和させているのだろう。直感とは反しているが、理由を考えれば真っ当なハナシだ。 ただ、直感と反しているが故に、なかなかに広まりにくいし、理解もされにくい。僕が休息や余暇を推奨するのは、もちろん体調を慮っている部分はあるけれど、「そうしたほうが仕事が進むよ」というほうが強い。実際、「週休3日でも仕事量は変わらない」みたいなハナシだってある。少なくとも僕のような人間は、休息をとることが仕事だ。周りでたとえ長時間労働をしている人がいても、僕らは辛抱強く、その人たちに理解されないことを覚悟して、休息を取る必要があるのだ。一緒に長時間労働をして絆を深めても、僕らの仕事はよくならない。 「バチャバチャ手を動かせば、速く泳げるわけじゃない」という例えが僕は好きなのだけれど、まさに水泳と同じだ。脱力する、余裕を持つ、流れを感じる。そういったことが大事なんだけど、どうすれば広まるかな、と考え続けている。
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