イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

正しい知識

最近、「どうすれば対立は生まれないか」ということをよく考える。人は何かと対立する。SNSなんかは典型的だけれど、そうでなくともなんか対立している。あるいは、すれ違っている。何かの言論を読んでも、そこには対立がある。しかも、みんな悪意なんてないんだ。良かれと思って対立する。それは悲しいことだと思う。 僕の言論も、知らないうちに対立の材料にされていたことがある。僕はたまにハッキリ「コレは困るよ」とか「コレはうまく作用しないよ」といったことを伝えるのだけれど、それが気付いたら「イオリンさんはXさんを良く思っていない」というウワサになっていたことがある。僕の伝え方が拙かった部分もあるだろうけれど、悲しかった。 僕が最近、AIで遊んでいるのはこの対立緩和に使えるかもしれない、という部分だ。発言から思想、利益、価値といったモノを洗浄すること。それが衝突を回避する何かにならないかな、と思っている。まだ実験段階ではあるし、僕が答えを出すよりも世界の優秀な人のほうが答えを出しそうだからそこに期待している。 そうでなくとも、良かれと思ってやってきたことが、なぜだか悲しい事件に繋がるのは悲しいよな。深く言及しないけれど、児童虐待とかいじめとかも、悪気はないんだよ。そもそも「悪気」ってのも言葉があるだけで、悪気という意識が実在するかもあやしい。復讐心は悪気か。アリの巣に水を入れる好奇心は悪気か。 あるフィクションで、そういう事態において欠落していたものは「正しい知識」だと言っていた。僕も同意する。正しいというのは、思想も利益も価値も介在しない知識だ。 たとえば内閣府の調査結果では、日本における女性の生涯痴漢被害の経験率は45%。一方、男性は15.2%。そして発生する痴漢のうち73.4%が三大都市圏(東京・大阪・ 名古屋)で発生している。これはただの知識だ。でも、これを知っているだけで「良かれ」は変わり、少なくとも知識不足がゆえの対立は減ると思う。 これは社会問題を扱ったけど、多分、僕らの身の回りであっても同じことが言えるんだと思う。
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