イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

寝不足の時の放埒とした散文

寝不足の時、僕の文章は大抵小難しく、そしてあやふやになる。昨日も書きながら「なんとも小難しい路(道)に入っていくものだな」と思ったし、今この書き出しがすでにその気配を放っている。けれども、そんな僕の文章が僕は嫌いではない。 おおよそ、境界というものが弱まるのだと思う。もともと、関係なさそうな二つ、あるいはそれ以上を結びつけることが僕の特異性であると自覚はしている。おそらく逆方向にもそうで、なんだか結びついている群体を解きほぐして放ってしまうことも特性だ。だから僕は「絆」といったものに疎いのかもしれない。 而して、そういった結びと解きの節操のなさが、寝不足によって散乱する。アイデンティティが薄まるのも関係しているのかもしれない。書いている途中もあっちこっちに飛んでいくのだ。そこに文系理系もなく、事実と解釈もなくなる。「太陽は遥か遠くにある」ということと、「太陽が山並みに沈んでいく」ということが、どちらも同時に成り立つように。 本当はこういった捉えどころのない部分とかをそのまま発露させてみたいなと思う。ごくまれに空間づくりに携わりたいと思うのは、こういう時だ。経済的合理性や市場論理性に優れた空間デザインも良いが、そことは外れた部分、アーティファクトを構築したい。トマソン的建築ではない、もっと別の。まあそれはマインクラフトとかでやればいい気もするが、現実世界において遭遇させたい。 こういった文章を、そぎ落とさずに載せられるのは、ブログの、少なくとも僕にとっての良いところだ。
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