イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

こびりつけなくていい

東京から長野に戻ると、僕にとって直接的な人間関係はゼロになる。朝から晩まで、長い縁のある人のいない生活だ。その中で僕は、自分の中で多少乱れた流れを整えていく。 人といることが嫌いなわけではないが、自分の流れが濁るのは確かだ。人ってやつはつくづく、人間というファクターを大きく捉えがちだ。そしてそれは記憶にこびりつきやすい。流れずにこびりつくもんだから、ゆっくりと身体の中を回るようにしていく。 こびりついたやつも結局、断片でしかないのだから、そのままこびりつかせることじゃない。昨日好きだったアイツが明日には嫌いになるかもしれないし、その逆だってありえるかもしれない。昨日まで一緒に笑ってたやつが気付いたら自死を選んでることだってあるんだ。そしてそれは僕のせいかもしれなければ、飲んだ酒と首都高のクラクションがたまたま心に響いたせいかもしれない。 まあ、要するにこびりつかせても仕方がないってことだ。自分の中に流れさせて、またどこかのタイミングで記憶の浅瀬に流れ着いた時に「こんな日もあったね」と思うくらいでいいのだ。 人って僕の意識が忘れていることでも、覚えているもんだぞ。幼少期にやり込んだビデオゲームは今やってもできるもんだ。だから、さっさと流してしまっても、バチはあたらんさ。
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