知らなきゃ失礼というもの
たまに「それは知らなきゃね」と思うことと出合うことがある。最近、それは歴史的なモノであることが多い。世阿弥が一家秘伝で残した文書が現代では「風姿花伝」として出版されている、というのを知った時、「そりゃあ読まなきゃね」と思ったものだ。損得じゃなくて、読まなきゃダメだね、と思った。
それは義務ではない別の何かなんだよな。いや、義務の中にも種類があるのか。たとえばゴミの日にはゴミを捨てなきゃね、ってのも、義務ではない。でも、やらなきゃあね、ってことだ。本を読むのもそれに近い。
ゲームも、半分くらいは「やっとかなきゃ」という思いでプレイする。それはもちろん、楽しんでいるのだけれど、心のどこかで「そんだけの努力と魂がこもったモノは、味わうのが礼儀だ」というような、そんな気持ちがある。一言で書けば敬意か。
昔から僕は「クソゲーなんて存在しない」と言い続けてきた。それはゲームに限らず映画も小説も、「誰かが"おもろい"と思い、世に出るほどにそこに魂をつぎ込んだんだから、必ず何かがある」と思っているからだ。だから、それを楽しんでいない、というのは遊び手の失礼である、と。
まあ似たようなことを風姿花伝であったりなんだったりに思うんだな。ただ、一旦のめり込み過ぎると、アレもコレもと拡がりすぎて困るのだけれど。