たまたまな常識
今時点で常識とされていることは、実のところ「たまたま常識という立ち位置にいる」に過ぎない。
たとえばフーコーが言ったように「人間」なんて概念だってあやふやなものだ。ちょっと前には「奴隷」は人間ではなかった。リンカーンの闘争からわかるように、少し前のアメリカでは「奴隷は人間のためのリソースであり、大事な要素」だったのだ。それが「人間」が拡張された結果、今度は「じゃあ人間と全く同じ反応をするロボットを、労役のために酷使していいのか」「ロボットと人間の境目とは」というチューリングやアイザックあたりの問題意識と繋がっていく。
このあたりがグローバル市場原理の隆盛などによって「そんなことより稼げりゃいいじゃん」とおざなりにされてしまった。もちろん、市場原理はすぐれたフレームだけれど、うまく機能しすぎてしまい、考えなくてよくなってしまった。結果的に「稼げるけど満たされない」みたいな事態を招いてしまったように思う。「奴隷」が「人間」に含まれるようになったが、はてさてその人間は「満員電車に毎日呑まれる」というのは含むのか。あるいは、田畑を耕したり作物をメンテナンスして1年を終えることは「人間」なのか(否定疑問じゃなくて、単純な疑問でね)。
このあたりをもう少し育めていれば、まあみんなもう少し笑って過ごせるんじゃないかな、とは思う。数値的には僕らは豊かになっているのだけれど、都会に行くたびに「みんなもっと笑いなよ」と思う。それはやっぱり「稼ぎ」と「グローバリズム」が悪さしているように思う。貯金なくても楽しく生きれるし生きていいはずなんだよ。
そういう時に「ほら、その"稼ぎ"の道ではやっていけない、って、君の身体はわかってるんじゃないのかい」と、言いたくなる時も、なくはない。こういうところは、AIは代わりに考えてはくれないぞ。「人気があるモノが勝つ」という世界では、特に。