文章を探すのが難しい
ちょっと前も書いた気がするのだけれど、インターネットにおける集合知みたいなものは衰退してしまったな、と感じている。特にGoogleなどのWeb検索エンジンの有用性というものは随分と落ちてしまった。
ジジくさくなってしまって申し訳ないのだが、現代において「十分な分量のある文章」を探すのはとても難しくなった。世間をにぎわせているゲームやマンガについての文章を探しても、まぁどこもかしこも胡散臭くて人間味のない、いわゆる典型的なアフィリエイト記事しか見つからない。noteでさえもそうだ。だからこそ、「ほぼ日」とか「千夜千冊」みたいな、一生をかけても読み切れない文章コンテンツがすでにあるのは良かったなあ、と思う。
そういえば先日、友人兼後輩が様々な文章を「とりあえずAIに要約させる」ということをしていたので注意した。まあ読む気にならないような長ったらしい説明資料はとりあえずAIに読ませていいと思うが、それなりの労力をかけて編集・編纂されたものは、その文章そのものに意味があるのだから、AIに要約させると味のしない駄文になる。
別の友人は「読書をしない」と言っていたが、彼は「頭から尾の先まで読み込むこと」を読書と呼ぶらしかった。一方、僕は「何か一つでも衝撃を受ける一節が見つかればもうけ物」くらいに思っているから、平気で途中で読み終えたり、行ったり来たりする。あるいは、何度も読むことでしみ込ませることもある。記憶したいわけじゃなく、意味のある違いを生み出したいのだから。
そしてAIに要約させると、筆者や編集者が魂を込めて置いた「意味のある違いを生み出す言葉」が切り取られてしまう。そして気付けば世の中、そういう文章であふれてしまった。SSO(検索エンジン最適化)が流行ったころにもそのフシはあったが、AIの台頭でいよいよ極まれり、という感じだ。
いまやインターネットで、人間味のある分量のある文章というものを見なくなった。まあ、それはAIだけじゃなくて、そもそも世界が繋がり、そこが「大衆人気」という基準で運用されるようになると、まぁそうなるよな。三島由紀夫も現代に生きていたら叩かれまくるだろう。「人気の故人」であるからそうならないだけで。