イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

やりたいことと、課題に思っていること

「やりたいこと」と「課題に思っていること」というのは存外、違うものだ。けれども、割と混同されやすいように思う。 たとえば僕が仕事においてやっていることは全て「課題に思っていること」であり、僕がやりたいこと、ってのはあまり入っていない。やりたくないわけではないし、楽しんでやってはいるのだけれど、「イオリンさんは今はそれがやりたいんですね」などと言われると、ちょっと驚く。 たとえば毎日運動と食事を気にかけていることさえもそうだ。僕にとって体調とは「課題」であり、それは人生全体でもそうだけれど、お仕事における「課題」なのだ。だから、パソコンでガリガリ残業する時間を削って、運動と食事を気にかけている。 一方で僕は仕事においては自分中心だ。「僕が課題に思っていること」に取り組むのであって、誰かのために、だとかいう気持ちはない。やりたいわけではないが、やるからには僕自身を納得させる必要がある。「僕は良いと思ってないけどみんなが欲しいから」という理由で製作することは、僕にはできない。心が壊れていく。 2025年の取り組みが上手くいかなかった要因の一つは、きっとそこだろうな、とも思う。情報を集めるつもりが、合議になっていた。「問題意識」という単語を取り立てていたのも、つまり僕自身が「それこそが課題だ」と思えていなかったんだろう。 あるインタビューで僕と似た考えをした方がいて、「それでもエゴが混ざってしまうことはないんですか?」と聞かれた時に「ないですね」と即答していた。それがすごい、と称賛されていたのだけれど、そりゃないだろうな、と僕も思った。 エゴが混ざるなら、「僕が課題に思っていることに取り組む」の部分のみで、そっから先はね。
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