ゲームには当たり前にある誘われる仕組み
僕は少なくとも3歳の頃にはビデオゲームをしていた。とても古い写真に、椅子の上で正座してファミリーコンピュータのゲームをしていた写真がある。父親が当時はビデオゲームが好きで、ファミコンやスーファミを買っていて、それを僕も遊んでいた。
それからまあ今に至るまで、ほとんどの期間でビデオゲームを習慣としている。新卒の頃やシェアハウスに住んでいた最初のほうはさすがに離れていたけれど、そのくらいかな。趣味はビデオゲームだ。
だから多分、ゲームにおける「レベルデザイン」など、ユーザを面白いところまで連れて行ってくれるようなコンピュータの仕組みってのはどっぷり染み付いている。すべて分解しているわけではないけれど、世の中にはそういうモノがあるんだ、というのは当然のことだ。
一方で、じゃあビデオゲームというものをあまり体験していない人にとっては、そういう概念は存在するのか。日常生活において「チュートリアル」のようなコンテンツがないわけではないが、たいていは人が連れてってくれるわけで、「誘(いざな)われる仕組み」というのは実は少ないように思う。
たとえば僕が「仕組みづくり」というと、そこには必ず、先ほどいったような「その仕組みに連れていく部分」を考える。それは当たり前だけれど、多分、「道具さえあれば勝手に使ってくれる」と思う方々もいて、それは幼少期から続く体験の影響もあるのかもしれない。
たとえばYouTubeとかAmazonとかは、とっても便利だけど「使いたくなるように誘われる仕組み」に乏しいものね。