イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

希望と諦観の振り子を

少し前に、一億総活躍だの、やりたいことで生きていくだの、そういった「君は何にでもなれる」みたいな風潮があったように思う。起業家がヒーローとなり、埋もれた才能が発掘されていく。副業の話題も多かった。 おそらくCOVID-19によってそれらは少し鳴りを潜め、その後より続く情勢不安定によって逆に振れてしまい、「上司ガチャ」「親ガチャ」だのという言葉が流行った。今はどうなんだろうな。噂では「なりたい職業」にまた「会社員」といった当たり障りないものが並び始めたそうだが。 まあ時代は振り子のように揺れるものだとしても、それによって揺らされた時代の残香は確かにある。時代は変わり続けていて、それはAIだのなんだのというわかりやすいモノでなくとも感じられる。今の世界は、5年前とはずいぶんと様相が違う。 忖度、冷笑、という流行り姿勢の隆盛は、大きくは「諦観」という流れに乗っているんだろう。これも大きな振り子の1つ、つまり「希望」と「諦観」との間を時代は揺れるものだけど、それにしたって大きくは「諦観」側に揺れ続けているよな。それが「あきらかにみる」の「諦(アキラ・ムル)」であればいいけれど。実際のところはほとんど「いじけている」。 ほんとのところは、そのいじけているところを「いじけるなよ」と言ったり背中をバンバン叩いて励ましたいところでもあるが、それさえも冷笑してしまった今の時代で、「希望」に振れる時代は来るのかな。「諦観」に執着してしまった結果、色々な歯車が落ちたようにも思う。どうなんだろうね。
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