インターネットとカーテン
僕は昨今のインターネットというものに満足していない。そこにはさまざまな要因があるけれど、一つは「広告収入文化」の多さだ。広告が悪いとは言わないが、コンテンツや体験を阻害するように広告を設ける、ということが一般化していることには少々がっかりする。
加えてアマゾンやグーグルなどが広告枠を募集しながらも「広告は邪魔ですよね?お金を払えば外せますよ」などといった振る舞いをするのは、広告主への敬意も感じられないし、そんなところに広告を出すほうも、もう少し誇りを持ってもいいんじゃないか、と思わなくはない。
広告モデルそれ自体は「僕と相性が悪い」というだけだが、それよりも僕が大きな課題感を持っているのは、インターネットの形態が一様化してしまっている、ということだ。全く一つであるというわけではないが、少なくともスタンダードがあり、それ以外のモノは日の目を見ない。
インターネットというものは構造上、グローバリズム市場であるのだけれど、グローバリズムが進むと世界は多様化するのではなく一様化するのだ、ということが見事に顕れているのだろう。SEO(検索エンジン最適化)技術の隆盛あたりから、「何かが求める一つの形」にインターネットが収束していった。
これは「壁を取っ払えば世界は面白いもので賑わうだろう」という予測とは真逆の動きだ。取っ払いすぎると、一様化してしまう。壁はなくとも、カーテンはあったほうがいい。こういうことを語った人が一昔前にいたそうだ。そういうのは、インターネットではもう見つからず、古本屋の方がごった返している。
一方で、少なくとも僕にとってこれは「課題」であり、インターネットという世界で、機会あらばやりたい実験対象でもある。