技能の市民権
これが資本主義の欠点なのかはわからないけれど、僕が生きてきた世界における「お仕事観」ってのはちょっとゆがんでいるように思う。危うく「現代日本の」なんて主語を大きく持ちそうになったので慌てて狭めたために「生きてきた世界」なんて言い回しになったが、別に現状に対する言葉ではなく、10年かそこらを思い返して。
前々から書いている「稼ぎ」と「務め」の同一化がまあ、その一因だとは思う。「務め」ってやつは、どうしたって技能が必要だ。たとえば火消しには火消しの技能が必要だし、ゴミ処理にはゴミ処理の技能が必要だ。プログラミング、デザイン、ニュースキャスター、経理、医療、なんだってそうだ。
一方で、技能がないので稼げません、って環境は国としてはよくない。特に日本は稼ぐことが「国民の義務」なんだから、国としては万人が稼げる環境づくりをしなきゃいけない。特に「一億総活躍」とのたまったからには特にそうだ。だから、「稼ぎ」を見ると求める技能は最低限に抑えたほうがいい。
結果、「技能が高ければ高いほどいい」場面に「技能が最小限の人」が混ざれてしまうのだ。それはある時はチャンスだが、ある時は足枷になってしまう。どうしても。「手際の悪いバイトがいると、レストラン全体のパフォーマンスが落ちる」というのはどうしても起きる。
そういう人を排除すればいい、って話ではなくて、どちらかというと「技能」ってやつの存在感を強めるべきかな、とは思う。そうすると、まあ「手際が悪い」っていうのを課題として捉えやすくなるんじゃないかな。