問題という言葉は慎重に
最近、僕は「問題」という言葉を避けて、代わりに「課題」と呼ぶようにした。差している対象は変わらないが、差し方を変えた。「問題」という言葉は、存在感がありすぎるのだ。
問題という言葉には「困っている」という意味合いが強い。電気が止まっては困るので、それは問題。家に帰るお金がないのは困るので、それは問題。
だが、おおよそ「困る」っていうやつは主観だ。貧困問題は市民にとっては困ったものだが、富裕層や宇宙人にとっては全く困らないのだ。僕にとって夜によく眠れないことは困ったものだが、僕以外にとっては問題じゃない。
主観であるがゆえに、「問題」には大きく2つの特徴がある。一つ目は今あげた「人による」という特徴。もう一つは「簡単に作り出せる」という特徴だ。たとえば「日本のウォシュレットの問題を3つ挙げてください」などと言えば、今日まで感謝していて何の文句もなかったウォシュレットに対して「困った」を作り出せてしまうのだ。
そして人の脳は問題に敏感だが、それが偽りの問題なのかどうかを区別できるようにはできていない。たとえば「ウォシュレットって皮膚が荒れて困るよね」などとテキトーこいても、それに人間を注目させられる。実際にそれで困ったことがない人も、簡単に困らせることができる。「ペーパーのが皮膚荒れるだろ」って話があったとしても。
僕はまあ、「誰が困っているのか」をすごく意識するのだが、一方で主観的な言葉を使うと誰かを困らせてしまうかもしれない。「課題」はそうではなくて使いやすい。