イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

守破離の前

僕は昔からよく考える子どもだった。例えば昨日分に書いたような、「問題って言葉よりも課題って言葉のほうがいいな」なんてことは小学生の頃から考えていた。そういうことの積み重ねと忘却が、僕のこの身体(アバター)を形づくっている。その中には学んだことでないものも多くある。 一方で、そうやって身につけたモノが世間においてある程度広まっている知見であることもある。まあ人間が同じ考えに行き着くことなんて珍しくはない。ただ、そういったものは「学んだこと」ではないがゆえに、「どう学ばせるか」ということへの解答はない。 たとえば「質問は一度に一つまで」「質問に質問で返さない」などといったことは、僕にとっては前提に近いモノで、いくらかの創作で出てきたり、他の人が言っているのを見聞きしたりもすることだ。一方で、これは僕が勝手に会得したものだから、伝授する方法がわからない。「質問は一つにしなさいよ」と言っても伝わるものでもないし、「こういう場合は質問で返してもいいよ」という絶妙なバランスもあるわけだ。 「守破離」という言葉もあるけれど、この「守」でさえ実は簡単にできやしないんだ。たとえば義務教育内でさんざ勉強した「栄養バランスのとれた食事」が「守」レベルでできているだけで人は健康になれるものだが、僕も含めてできていないわけだ。 一方で、「栄養バランスのとれた食事をすればいいのに」って言われりゃできる自信もない。僕が食事に気をつけ始めたのは、迷走神経反射とかで「死ぬかと思った」という目にあってからだ。 「守破離」の前には「知」がある。ただ、まず「知とは?」から始めないといけないよな。知の前に気づくがある。
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