言語からの離脱
この週末は東京に行っていた。長野に帰ってくると、やっぱり長野はいいなあ、と思う。もちろん自然はいいのだけれど、それ以上に「言語情報の少なさ」に僕は安心するのだと思う。
僕は他者とのコミュニケーションを避ける傾向があると自覚するが、それは正確には「他者の言葉」を避ける傾向があるのだと思う。もちろん友人と飲みに行ったりだとかホームパーティに誘っていただいたりだとかは嬉しいし楽しいんだけど、生活すべてがそれで溢れると、僕の脳がそれを処理できなくなる。
だから東京のオフィスにいる時の僕は、半ば無意識に他者との交流モードを切っている。音楽を聴いて言葉を遮断している。そうしないと脳がすべての言葉を処理しようとしてしまってパンクするからだ。
今住んでいるところも人間はいるが、「全く人間がいない通り」で溢れている。そこには言葉はない。鳥たちが雄弁に会話していたり、たまに鹿も出るが、言葉が全くない。その中に佇むことで、僕も言語を脳内から掃除できる。
人間における脳の過負荷状態の要因、言語をインフラツールとして使っていることもあると思う。たとえばあいさつするだけでさえ、「こんにちは」「おはよう」などなどを無意識に使い分けているし声色も変えている。英語も「How's it going?」なんて言語情報に溢れた挨拶を使っている。そりゃー疲れるよ。