当事者と観客
僕はスポーツ観戦はそこそこ好きだが、あくまで観客は観客、と割り切って見ていることが多い。前も書いたかもしれないが、この試合の熱量は選手や監督などの当事者たちのモノで、観客はその熱量に手をかざして分けていただいているに過ぎない。
だから、僕は口を出さないように心がけている。僕の応援しているチームが不甲斐ないプレイをしてしまったとしても、それを一番受け止めているのは選手たちやコーチ陣たちのはずで、観客は「よーやった!次は勝ってくれよ!」と拍手喝采、応援するのが礼だと思っている。まあテレビの前の閉じた空間であーだこーだ言う分には全然良いと思うけれと、そういう此彼の境目がないSNSとかで講釈垂れるのは違うわな、と思うわけだ。
加えて、ふと寄り合って試合を見ているだけの観客よりも、選手や監督、その周りの当事者たちのほうが絶対良く考えている、と思うからだ。僕らが仕事したり家事したりしている時間で彼らは試合で勝つことについて考えているからだ。僕らがピーナッツを食べながら観ているなか、当事者たちは真剣に試合を見て流れを考えて指示を出しているからだ。
これは多分、現代の「餅は餅屋」的な概念が薄くなった風潮が影響しているようにも思う。あるいは挑戦はいつから始めても良い、という論調もあるか。まあ挑戦はいつ始めても良いけれど、遅く始めたらその分、先達からは途方もなく水をあけられていることは認めないといけない。インターネットやAIに聞き齧っただけの知識で物言いをするのは、失礼千万な話だなと僕は思う。
まあ、家の居間とSNSの区別がついていないだけ、ってのもありそうだけれど。