イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

じゃないほうで生きる道

中井貴一さんと糸井重里さんの対談で、中井貴一さんが「僕は常に『じゃないほう』を意識してきた」と言っていた。流行じゃないほう。時代の主流じゃないほう。その理由の一つは「もし時代の大波が崩れた時に必要なのは『じゃないほう』だから」だそうだ。 僕にはそういう大義があるわけではないけれど、自分自身を「じゃないほう」の人間だなと思ってきた。全てがそうであるわけじゃないけれど、どうにも僕が正道だ、王道だと思って辿る選択がおおよそ集団において逸脱していることが多いからだ。他者が僕を言い表す言葉はおおよそ奇人変人といったものだ。 昔はそれでいじけていたものだが、今はまあそんな気持ちはない。ただ、「じゃないほう」として生きる道がもっとあればいいのにな、とは少し思う。その最たるモノが「独りで生きる道があってもいいじゃないか」という想いだ。 これは結婚だとか独身だとかではなくてね。たとえばお仕事をするにも、なんでもかんでも「チームで」「みんなで」みたいな話が浮かぶ。年齢をいただくに連れてマネジメントだの何だのといったポジションが嫌でもちらつく。「遠くに行くならみんなで、だよ」とか言われる。 でも、「協力なんてしたくない」っていう道があってもいいじゃないか、と思う。独りで淡々と仕事をこなして、それで生きていく道があってもいいじゃないか、と。 僕がやりたいことがあるとすれば、そういう「じゃないほう」を見つめて、「じゃないほうが生きる場所」を作ることかもだね。それはずっと考えている。
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