イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

進化論とデザイン論

昨晩は東京で同僚などと飲んだのだが、とても興味深い会話があった。仕事では関わっていても飲みの場で顔を合わすのは初めての組み合わせだった。そこで飲み会らしく話がただよいながら「人間の成り立ち」あるいは「世界が現在に至るまで」の話になった。そこで、その場にいた2名が全くの真逆の主義の持ち主だった。 片やダーウィニズム信奉者、つまりは「すべては偶然であり、意図などない」という主義であり、片や「偶然にしては偏りがありすぎるので何かの作用があるはずだ」という主義。 僕が生きてきた生活において、後者の主義、ファインチューニング宇宙論だの宇宙デザイン論だのといった主義とはほとんど出合ってこなかったし、一方でダーウィニズムをそのまま理解して説明できる方もなかなかに珍しいから、この2者が偶然その場にいることがとてもおもしろかった。 実のところ、この2者がお互いを論破することは構造上ない。ダーウィニズムは「その偏り、意図されたように見えることさえもたまたまだ」と言えてしまうし、デザイン論は「そんな突然変異がここまで進むことは統計的にありえない」と言えてしまう。僕らがデザイナを(今のところ)認識できない以上、いわゆる悪魔の証明がある。そしてこの2人の会話も早い段階でそこに行き着いていて、それもおもしろかった。 ちなみに僕は僕でこの議論を台無しにするのだが、「どっちでもいい」という身も蓋も無い立場だ。どっちの理論も面白いから知識欲のようなもので話を掘りたくなるが、一方でどっちであろうと僕の生きる世界にほとんど関係がないからどっちでもいい。なんだったら世界5分前仮説が正解であってもいい。
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