イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

話したいという欲求

寂しさという概念がある。それはおおよそ、「誰かと話したい」という欲求だろう。でも、言葉ってやつは後天的にインストールされたツールであって、人間の素体に「言葉」というツールは入っていない。で、あるならば「誰かと話したい」という欲求も、後天的に作り出された概念のはずだ。 さて、僕は周りに人がいなくても寂しさを感じない。それはおそらく、万物と会話しているからだと思う。長野にいると顕著だが、僕は自然にいる動植物と会話をしている。いや、正確には勝手に何かを受け取っている。「おお、木々が育ってきたなあ」とか「トンビが元気だなあ」とか。 それは幼少期からそうだった。僕は独りで散歩することが小さい頃から好きだったが、その時からそういう世界との交流を楽しんでいた。だから「寂しさ」を感じない。 まあ僕の何かが後天的にイカれてしまった可能性は存分にあるけれど、少なくとも僕からすると「誰かと話したいっていう欲求で悲しくなるのは大変だなあ」という感覚だ。あるいはそもそも、そういう欲求さえも言葉によって作られた虚構でしかないのだから、存在しないものに憂いてしまうことは損だなあ、という感覚かな。 このあたりが僕の「本音など存在しない」「現象でしかない」という感覚とも繋がってくるのだろうけれど。
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