言語化ではなくって
僕が何かを書こうとする時、まあスラスラと書き始められることもあるけれど、たいていは最初に少し脳を游ばせている。何かを読んでみたり、とりあえず文章にもならない言葉を連ねてみたり、あるいは物思いに耽ったり外を眺めたりだ。
そうこうしているうちに、ふと、何かが浮かび上がってくる。読み物をしている時はわかりやすくて、読んでいることと脳内の何かが結びついて、それが書きたいものとして浮かび上がってくる。まだ輪郭もあやふやなそれをエンジンにして真っ白な執筆ツールにつらつらと書き始める。
もちろん途中で詰まることもあって、半分とか、7割くらい書いたところで詰まった結果、捨ててしまうこともある。浮かび上がった輪郭が気づけばそっぽを向いてしまって、消えてしまうことはよくある。そうすると、全て捨ててしまって、また真っ白に逆戻り。
あるいは全然想っていたものと違う着地を見せることもある。自分が書いたものではあるけれど、そこに発見がある。たとえば今まさに書いているこの項は、書き始める前は影もなかったが、今ここに縁取られているわけだ。
それは「言語化」なんてものではない。縁取りであり、発見だ。書いてはじめて顕現するのだ。言葉は世界の写像じゃないんだね。数式と同じ表現ツールでしかないわけで、「〜〜化」ってのは状態変化のことでしょう。物を書くとはそういうことではないんだ。僕にとっては、ね。