イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

「僕」の時期

今、僕は文章における一人称は「僕」になっている。「俺」とか「私」とかを使っていた時期もあるけれど、今は「僕」の時期。 一人称を変えると、そのまま文体にも影響がある。まあ文体が変わったから一人称も変わってしまったのかもしれないけれど。僕としては「アイデンティティごと変わったね」と思う。僕は「僕」というアイデンティティで今コレを書いていて、それは「俺」や「私」あるいは「オイラ」とは別の人間だ。 本当は仕事とかでもガラリとアイデンティティごと変えたいが、現実世界ではこの身体同一性があるせいで、どうにもやりづらい。コミュニケーションなんてお芝居みたいなものだから、もっと変えてもいいはずなんだけれども、僕が現実世界で性格ごと変えると、きっと不信感が出るだろう。 まあ「仕事では全く関西弁が出ない」だとかいうところを見ると、実のところしっかり変えているとは思うけれどね。あるいは友人とでも、文学の話だとか哲学の話だとかをしている時は、口調が変わっていると気づくこともある。 最近気づいたのは、その時の自己によって、面白いモノと相対した時の語彙がブレていることだ。「おもろい」「おもしろい」「興味深い」という言葉が自然と異なってくる。特に意識していないのにそうなるのは、なんでだろうな。人間の自己同一性なんて曖昧だよ。
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