わかりあえた「ふう」を装って
先週に台風が来てようやく雨の季節という感覚になったけれど、今年は梅雨がずいぶんと遅いし穏やかだ。去年や一昨年はもっと早くに梅雨がきていたし、梅雨の間も「また雨か」と落ち込んでいた。僕は雨が好きじゃないからね。
まあ一方で僕は去年の終わりくらいに強力な雨合羽を買って、傘をさすのをやめたから、それも影響しているかもしれない。傘をさして歩くことがそもそも好きじゃなかったから、そのせいで「うっとうしさ」の感覚が倍増していたのかもだね。
先日、お腹の調子がいい日に定食屋にいったら、店主さんが「今年ももう半分が終わっちゃったんですねえ」と言っていた。思えばお仕事の会議でも誰かが言っていたかもしれない。僕にはそういう時間が早いという感覚がないので、「まあ妥当だな」と思っている。先に書いた通り「今年は梅雨が遅いな」などと思うくらいだ。
そう考えると、僕が生きる世界と、あなたが生きる世界はきっと全く別物だ。人の数だけ世界があり、それらを僕らは観測しては都合の良い解釈をしている。リンゴが落ちる様子だって、全然違うふうに見えているのかもしれない。人の目にうつる映像は脳によって編集されているわけだしね。
そんな違う世界に生きる僕らが、それでもおしゃべりして分かり合えた「ふう」を感じて、それでまあほっこりするならそれでいいじゃない。そう思いながら定食屋の店主に「ようやく梅雨らしくなってきましたものね」と返した。