イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

インターネットにも発明が必要

前も少し書いたが、今のインターネットサービスの鋳型というものは僕にとってはあまり魅力的ではない。偏屈ジジイの戯言だと思って受け取ってほしいが、世に出てくるサービスらに発見や発明はほとんど見られない。生成AIが隆盛している現在に至っても、多くの人たちはプロンプトやAIを使いこなす方法ばかりが人気を取って、それを使って僕らは何を為すのか、という部分がほとんど見られない。 多くのインターネットコンテンツはウェブログ型かフィード型に固定されている。ウェブログは広告収入モデルか、あっても会員登録制度だ。フィード型はどれもこれもマイクロブログ型でコンテンツを「人気」によって並び替える。SNSだけでなくYouTubeなどもフィード型だ。 現代のフィード型を発明したのはFacebookの「ウォール」だと思う。アレ自体は僕は好きだった。とにかく「ウォール」のページに行けば友人らに関する知りたい情報が出てくる、というWebページの形態は当時、他にはなかった。投稿や情報がスコアになり、そのスコアの上位のものがウォールに配布(フィード)される。 それがSNSと結合したことでスコアに「閲覧数」とか「いいね数」とかが入ってダメになった。そうなれば扇動的な情報や「耳障りのいいウソ」などが上位を占めてしまう。アジテータが人気者となりやすく、そのためのコンテンツが生産されていく。ただ、それが稼げてしまうし、実際に人を集めてしまうので、成功とされてしまう。YouTubeやPodcastなどもそうなっている。 今の構造ではこの「人気」ベースのコンテンツ評価にどうしても勝てない。ゆえに発明が必要なのだと思う。たとえば観光で訪れた村でひっそりと建っているお店に出逢うような。あるいはふらりと訪れた本屋で、店主が見繕った本棚を見て運命の出逢いを果たすような。 インターネットが「人気型」になるより以前は、そういう出逢いはインターネットにもあったと思うのだけれどね。と、偏屈ジジイは思うのでした。
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