イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

もっと笑え

僕は人生に目的意識はない。夢も計画もその日の気分によって目まぐるしく移り変わるし、そのどれもが「機運があれば」という生ぬるい感覚だ。 では無気力かと言われれば、おそらく違う。僕を知る友人らも「イオリンさんは無気力ではない」と言うだろう。僕のいう目的意識のなさは、「目的」というモノを意識のレイヤーに置いていないということであって、目的や意欲というものは身体に宿っているのだ。 その身体にある気力を尊重する。脳や意識は身体に宿るただの一要素であり現象であって、脳が身体をコントロールするわけではない。それが僕の世界観だから、脳が考えた言語的なドリームなんて文字通り夢想なのだ。心なんて身体の一要素でしかない。 そんな僕に夢があるとしたら、「周りの人たちが幸せだったらな」くらいのものだ。その先のあーだこーだは全て因果の果のほうで、僕はみんなに笑っていてほしいし、日々の幸せを享受してほしい。その幸せの形は人それぞれだけれど、まあ気力漲るような笑顔でいてほしいな、と勝手に思っている。 とはいえ白い箱を作ってその中に誰かを押し込めて、美味しい食事やなんでも見れるデバイスを放り込んでおくような、そんなことはしたくない。むしろ僕もっとも警戒しているのはそっちだね。この例えはフィクションからの受け売りだけれど。
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