ファジーな世界
今、目の前で蛾が窓ガラスか何かに当たったせいで、くるくると奇妙に回転しながら地面に落っこちた。しばらく寝そべっていたけど、やがて立ち上がって飛びあがろうとしたけれど、うまく飛べずにクルンと回ってコケていた。
なんとも「人間らしい」と思ってしまった。忘れがちだけれど、蛾といった虫や小鳥にも脳みそはあり、彼らも強く頭をブツければ脳震盪のように脳機能が混乱してしまう。そしてその様は頭を強くブツけた人間ととてもよく似ている。先ごろの蛾の様子も、ボクシングでアゴに一撃もらって立てなくなっている人間みたいだった。
僕らが「人間らしい」などと思っているモノはその程度の、つまりは思い込みと錯覚によるものなんだろうなと思う。僕は「人間らしさ」ってのを感じるのが結構好きだけれど、それも都合の良い言葉だ。人間というアバターが見せる振る舞いの中で好きな部分を「人間らしさ」などと呼んでいるんだろう。何かに抗おうとする様がすごい好きだけれど、虚栄心みたいなのは好きじゃない。でもどっちも人間だ。
まあそこに説明や言葉はいらないんだろうな。「なんとなく好き」でいい。逆に「なんとなく違う」でもいい。言葉やゼロとイチに頼りすぎるんだ。世界なんて壁に頭をぶつけたら揺らぐし、ツラい時に決めた決意だって喉元過ぎればなんとやらだ。僕らも含めてすべてはファジーだ。
そういえばアサシンクリードというゲームシリーズの1作目が出たとき、キャッチコピーの「真実はなく、許されぬことなどない」というのが好きだったな。真実があるということは、真実以外が許されないという世界だ。逆に真実がないということは、許す許されないではない行動軸が必要になるということだ。なんか多分、そういうことだったと思う。