イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

結果論が意味を成す時。

入院生活中はダラダラと、漫画を読んだりゲームをしたりしている。身体が動かせなかったり、あるいは点滴生活だったりのせいで脳がすっかり気力をなくしており、何かを書くだとか、そういう方向に脳が動かないのだ。 さてもその中で一つ、面白い言葉に出会った。あるバスケ漫画において判断ミスによって負けてしまったチームの司令塔がそのことを反省していた時に「でもそれは結果論だ」という慰めの言葉をもらう。それは真っ当な慰めに聞こえるけれど、その司令塔はピシャリと跳ね返す。「試合は結果を出す場所だよ。結果から逆算できていない判断は明確なミスだ」と。 僕はこのシーンで思わず「なるほど、たしかに」と頷いた。「結果論」という言葉はおおよそ「結果論に意味がない」という文脈で使われるが、結果論がちゃんと意味をなす場面はあって、それはつまり結果が全てという世界においてだ。 少なくともプランニングやディレクションなどを生業とするならば、結果論をしっかり受け止めることは必要なように思う。特に「仮説と検証」はそもそもが結果論ありきだ。仮説を考え抜きながらも、結果が違ったならばひっくり返さなきゃならない。結果論から逆算して仮説を見直す必要がある。 ただ、成功事例については結果論を使うべきじゃないかもだね。成功した時の結果論は反論する武器がないので分析に紐づかず、盲目を加速させてしまう。「ほら、神様に祈ったから僕は金持ちになったんだよ」みたいな結果論には意味がない、ということだ。
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