イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

"っていう俺、どう?"

ちょっと前に芸人キングコングさんの会話の中で、梶原さんが「なぜか好感度が下がることが多い」という悩みを相談していて、相方の西野さんが「梶原さんの親切には "っていう俺どう?"が垣間見える」と仰っていた。正確なところの記憶は不確かだが、たとえば誰かに「いつでも相談に乗るよ」と言っても、その背後に"っていう気遣いしている俺、どう?"っていう下心めいたものが垣間見える。 なかなか示唆に富んでいると同時に怖しい話だなと思った。というのも、梶原さん目線では全く下心はないという。つまり存在しない下心が相手からは見えてしまっているという霊現象のような問題だ。何が怖しいって、僕や君もそう思われている可能性が十分にある。ただ僕らがそれを検知していないだけで。 先日、友人とこの件について話し込んだ。たとえば何気なく入ったコンビニの店員さんの中にも、単純に親切心に心が温まることもあれば、そういう"っていう俺、どう?"の自意識の亡霊に当てられてなんだか気分が下がることもある。でも、その自意識は亡霊かもしれない。ならばその亡霊はどういう論理で生まれるのか。 一つありえそうのは、「親切心で行った行為が、実のところメリットを提供できていない」という時に、自意識の幻想を見るのでは、という論理だ。たとえば「荷物持ちましょうか」と言っても治安の悪い街では知らない誰かに荷物を預けたくはなくて、むしろ「いえ、結構です」というコストが加算されている。この場合、親切心を拒否する正当化のために、「これは親切ではないのだ」という論理を構築する。その部品として自意識の亡霊を生まれさせるのでは、という仮説。 とはいえ、これだけじゃないように思うし、「ちゃんと助かったかどうか」なんて確かめられないから困ったものなのは変わりないけれど。
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