売れないけれどやったほうがいい
あるゲームの中で偉大な科学者が、平和を実現するための実験としてラジオを始めていた。そのラジオでは、その科学者が持つテクノロジーによって集めた世界中の「ただの数字」をひたすら読み上げる。たとえば「世界の児童労働者数」などを淡々と読み上げる。脚色は何もせず、ただ世の中の現実を伝える数字。
僕はこの思想が好きだ。この科学者の仮説は「争いや悲劇が生まれるのは、正しい世界を知らないからだ」というもの。みんなが良かれと思っているのに対立するのは、ありのままの世界を知らないまま、脚色された知識によって判断をするからだ、と。皆が「ありのままの数字」を持っていれば、対立が減り、悲劇も減らせるはずだ、と。
一方で、これが「売れるか」「人気が出るか」という話をすると、おそらく売れないし、人気も出ない。少なくとも「正確な情報を計測し続ける」というコストには全く見合わないだろう。お金を集めるなら児童労働者数の時系列ではなく、たった一人の児童が過酷労働をしているスナップ写真をポスターにしたほうが集まるし安上がりだ。
だがそれは脚色であり意図が混ざり、不正や格差が生まれていく。市場原理者から言えばそれも「不正があっても救われる人もいるのだから」というのかもしれないが、歪みであることは事実だ。不正によって奪われるお金は、他の誰かを救えたかもしれない。
だからこそ僕も「ただの数字を読み上げるだけのラジオ」は良いものだなと思う。それは「売れないし人気も出ないだろうけれど、やったほうがいいこと」だ。僕はそういうことに興味がある。
もちろん「お金が無駄だ」というわけでもないけれどね。お金はすごい発明だ。でも、そういう「売れないけどやったほうがいいこと」というのも存在して、そういう時に「どうすればそれが売れるか」ではなく「それを実現するための予算をどう、別のところから集めるか」を考えたい。僕はね。