イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

苦労、苦痛の種類

「苦しい」って言葉もよくよく考えれば曖昧なものだ。苦労や苦痛などもそう。たとえば「苦労は買ってでもしろ」というけれど、ここでいう「苦労」ってやつも捉え方次第で是非は変わる。 僕は昔から苦痛耐性があると思ってきた。たとえば極寒の中歩く、みたいなことは結構好きで、それが生の実感に繋がってとても幸せに感じることもある。あるいは運動して疲れ果てることに気持ちよさを感じるような人間だ。 ただ、一方で体調が崩れるような苦痛は絶対に避けたい。寝不足も嫌だし、生活環境は快適に保ちたい。そこはなるだけ苦痛の要因になるものは減らしていきたい。そういう苦痛には耐性がないわけだ。 「苦労は買ってでもしろ」の苦労も同じで、別に熱帯夜の中、全く対策せずに寝るような苦労は買う必要はない。一方で、「毎日なるだけ歩きましょう」みたいな苦労は買った方が健康につながる。苦労にも種類がある。 で、苦労に対する解像度や体験の差によっては、ここを同じように受け取ってしまうのかもしれない。僕は「身体を動かす幸せはヒトという素体に備わった特性」だと思っているけれど、その疲労感による苦労、苦痛が「体調不良」と同等だと思っていれば、そりゃ、運動したくないわな、と。 そこを打破するには多分、レベルデザインがいるんだろう。
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