積むことを意識する
僕は2019年ごろに、英語話者が多い仕事環境に身を置いた。英語を使えるようになるには習慣が必要であり、なおかつ意志みたいなものが介在しないようにする必要があったからだ。ただ仕事を日々こなすだけで英語の習熟ができる。これを僕は「ログインボーナス」と呼んでいた。
まあほどなくCOVID19によって対面会話をする機会は減ったが、それでもテキストは相変わらず英語だし、たまに英語の会議もあった。まあ今でも50%くらいは「何言っているんだろ」みたいな気分で聞いているが、まあこの環境に入る前に比べればだいぶマシになった。
さて、まあ何かを身につけるということにおいては、どうしてもこういう積み重ねが必要になる。僕が長い文章を書けるのも読めるのも、毎日のように長い文章を書いたり読んだりしているからだ。逆に僕はキャンプに行ってテントを建てるのに苦労するのは、キャンプをあんまりしていないからだ。
なかなかジジくさいことを言うようで気が引けるが、テクニックというのはちゃんと積んできて初めて身に付くものだ。僕が文章を書くときのテクニックを伝えたところで、それを模倣すれば身に付くわけではない。模倣は入り口であって技術ではない。
さても少し目を上げれば、この「積む」という行為そのものにさえ、同じことが言えるのだ。つまり、大して積んできていないような人間が、こういう話をしたところで明日から積める人間になるわけではないのだ。
とはいえ、積んできていない人間なんて本来いないんだけどな。日本教育でみんな積んできているんだから。こんなに多くの文字や漢字を認識できるのは、積み上げてきたからだよ。問題なのは「積んできたこと」に意識的かどうか、か。