サピエンスとデウス
数年前に「サピエンス全史」および「ホモ・デウス」といった本が隆盛していて、どこもかしこも読むべし読むべしと喧(かまびす)しかった。まあ僕も目を通したが、「サピエンス全史」は歴史物としては興味深かったものの、こぞって読むべしと言われるほどとは思わなんだ。ホモ・デウスについても「まあそういう考えはあるわな」というふうに留まったのが正直なところだ。画期的な部分は少なかった。
簡単に言えば「サピエンス全史」はホモ・サピエンスである我々が如何にして地球を席巻するようになったかを説明している。ただ根幹はおそらく「人間が得た力は何か」「その力で人間は幸せになったか」というあたりの問いだと思う。その問いそれ自体は問うに値する。画期的ではないというのは、まあ80年〜100年くらい前にそれを問うた時代はあったはずだ、というところだ。
そして「ホモ・デウス」はその問いの発展であり、その観点における続編である。これから人類はAIや機械工学、遺伝子工学などによって人類そのものを作り変えていく。そうして身体や精神が変わりうる未来を仮定して、その上で「人間とは何か」「自由とは何か」などの問いを投げかけてくる。
ただ、その問いは引き続き「80年〜100年前」ほどにすでに投げかけられていたはずの問いだ。加えて同著には「疫病や飢餓、戦争といった人類の課題は以前より制御可能になった」というものがあったが、同著出版の2016年以後、その前提に疑問符がつく事件が多発している。これを以て「随分と楽観的」だと評する方がいて、僕もそう思う。
まあとはいえ投げかけている問いは2026年現在においても未だ価値があり、むしろおざなりにすればするほどに価値を増すが、今以てなお、お茶を濁されている次第だなと思う。