あそびなさいよ
僕は自分の同僚に「もっとあそびなさいよ」とよく伝える。それは趣味でも仕事でもいいのだけれど、目の前にあるタスクをただこなすんじゃなくて、いろんなところであそぶこと。そのあそびの中で得たものが自分という土壌を肥やしてくれるからだ。
特に最近はAIのおかげで「目の前にあるタスクをこなす」ということは人間がやる必要がなくなってきている。いや、むしろ人間がやるほうがコストになっているケースもある。これはグロい話なんだけれど、誰かが作ってきてくれたものよりもAIの成果の方が有用だったため、人工物のほうを捨ててしまうことがある。
一流の仕事をAIが置き換えることはないし、人間にしかできないことも間違いなくある。ただし、付け焼き刃の仕事はAIにボロ負けする。文章も開発もそうだ。
それでいうと最近は「ここ、人間というファクターがなければもっとスムーズなのにな」と思うことも少なくない。まあ僕自身が人間付き合いが苦手なのもあるのだけれど、AIがやった調査を人間が付け焼き刃で編集するよりも、その調査してくれたAIと会話して進めた方が早い、というケースだ。こういう状況において「人間」というファクターが、書類仕事における印鑑くらいの役割にしかなってない。
文字にして書くとやっぱりグロいが、まあ印鑑がなくなっていないようにそういう「人間」の仕事も残るんだろうなとは思う。けれども、こういう印鑑仕事としての人間性は、少なくとも僕は求めない。
だからこそ「あそび」が必要だ。全く違うことをしていたことが、奇妙な結びつきを成すことなんてたくさんある。それこそ静電気のようにピリッと何かが発生することもある。そういったことこそが、人間・・・あるいは生命にしかできないことの一つだと僕は思う。