イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

白い部屋とまともな人間

ギルティギアストライブというゲームの中で印象的なたとえ話がある。この話は書いていたと思ったけれど明後日も見つからなかったので書く。こんなたとえ話だ。 出口も窓もない、狭くて白い部屋に一年くらい閉じ込められた人間がいる。そこでは怪我や病気に悩まされることもないしご飯もちゃんとある。電話を使えば誰とでも会話ができる。ただ、天から声が聞こえてくる。"そこから出てはいけないよ。みんなもそうしているから君もそうしなさい"と言われ続ける。そんなある日、出口のドアが開く。そんな時、どんな行動をとれば『まともな人間』なのか。 この問いはとても良いなと思う。選択肢は色々ある。部屋から出ないのが「まとも」なのか。部屋から出るのが「まとも」なのか。部屋の外は危険かもしれない。安全かもしれない。緑あふれる世界かもしれないし、荒廃した世界かもしれない。ただ、「部屋から出てはいけません」という社会。そんな状況下において、どういう行動を僕らは取るか。あるいはドアから出る人間や、室内に居続ける人間、どちらを僕らは「まとも」と感じるか。 そもそも「まともな人間」というもの自体が流動的であり主観と環境で変わるものだ。結局のところは「僕はどうありたいか」のほうが大事で、それが「まともな人間」というものを決めるのだが、そもそも今の時代ではそういうことを問われること、あるいは思索に耽ることさえない。なぜなら、僕らは「白い部屋」にいるからだ。 ただ、こういうことはもっと問われていいと思う。50年〜100年くらい、こういった問題がおざなりにされ続けてきている。それこそ「まともな人間じゃない」と指さされるようになってしまってる。
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