イオリンの手紙

瓶詰めの紙切れ

勿体

「もったいない」という感覚は、日本人に備わった素敵な価値観であるというが、一方で怖いものでもある。 モノに対する「もったいない」は健全だとは思う。勿体が無いとはつまり「物があるべき姿=勿体がない」ということらしい。「勿体無き御言葉」というのは、私などに与えるべきでないほど上等な言葉をかけていただいてありがとう、というわけだ。米粒をすべて食べないのは「本来は食べて栄養になるべき物が捨てられてしまう」から勿体無いのだ。 それが転じて「捨てるのが惜しい」というふうになるわけだが、一方で、「失いたくない」という感覚としての「もったいない」もある。怖いのはこっちだと思う。なぜなら「失いたくない」という感情は人間にとってとても強力で、失いたくがないゆえに「あるべき姿」を無くしてしまうことがあるからだ。 現代においては「タイパ」というのが象徴的だ。時間が失われるのがもったいないから、なるだけ早く何かを詰め込もうとする。それがゆえに、たとえば「感情を揺さぶるコンテンツ」が倍速で再生されたり、ショート動画にされてしまったりして、むしろ勿体無いことになってしまう。 あるいは、僕がよく気を付けるのは「毎日更新されますよ」とか「早期購入特典」とかだ。僕もつい、こういうのに触れると「こぼれ落とさないように、毎日ちゃんと見よう」だとか「使うかわからないけど早く買おう」だとかしちゃうけれど、これは単に「失いたくない」という気持ちによって自分がブレているだけで、むしろ自分自身が「勿体無い」ことになっている。 もちろん、本心のところで「毎日見よう」とするならば、それが勿体なのだからいいのだけれどね。
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